最終レポート

「失語でも、苦にならないよ。身内でも」短歌を詠んでみた。
生まれてこの方、二十五になるまで言葉を喋ったことのない三つ違いの弟の事を詠じた。
「よくわかる、こまめに聞けば、出来るもの。」
苦になるものは後退りしたら終わりであり、絶えず前向きの姿勢が大事だ。
毎朝、母から新聞を貰うのが日課である。
そして、母が買い物に行くときは手を叩いて喜んでいる。
僕「なんだ?服に手をやってるよ。」
母「服濡れてるみたいよ」
僕「ほんとだ、着替えてほしいと言ってるみたいだね。」
母「今から買い物に行ってくるね。」「はるおちゃん、頼むね。」
又、手を叩いて喜んでいる。
1時間位のお出かけであるが、その間結構忙しい。
喉乾いた時、弟は「(喉元に手をやって)(喉を鳴らす音を出す)」。
大小便の時は、仕草で知らせてくれる。
24時間態勢で考察して、一番厄介なのが病気になったときである。
かかりつけの医者を決めているので、医師の処方箋に従い対処している。
思えば、苦になるものは悪玉菌と善玉菌との闘いなので医師の適格な処方箋が重要となるのは、至極当然なのかも知れません。
単に介護するだけでなく、コミニケーションとして考えられる事例としては次の通りである。
ある日の入浴からあがる時の事である。
母「さっぱりとしたね。背中を拭いてあげるね。」「頭も拭くので、はるおちゃん、タオルを持ってね。」
はるお「言われた通りタオルを持って、頭を拭いている。」
母「綺麗になったので、服を着ようね。」服を被せてやると、服に手を透している。
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夕食後屈どいているときである。
父「はるお、ちょっと寒くなってきたので、そこのはんてん取ってね。」
ほぼ日常茶飯事になっているので、手慣れたもので持ってくる。
父「はるおちゃん、ありがとうね。」
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はるお、スマホに夢中になっている。
大好きな相撲の動画を観ている。
暫くして、スマホを持って僕の所に来て、何かを訴えかけている素振りをしている。
僕「何だい、(スマホを見てみると、明らかに画面がおかしくなっている)そうか、こりゃ駄目だ。ちょっと待ってね。」(暫く待たしながら、スマホを元通りにしてやり、はるおに返してやった。)
はるお(嬉しそうになって、又、遊びだした。)
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ある日の夜、宿泊予約客があるので、父のフロント助手についている時のことである。
お客様が到着したので、父がフロント手続きをして挨拶をしている時である。
壁越しに、はるおちゃんの叫ぶ声が聞こえた。
予約客「何なのかな?怪獣の声かな~」
父「違うんですよ。」「うちの息子の声ですよ。」「小さい時に障害者になったんだよ。」
(予約客、急に黙りこんでしまった。)(でも、一言も謝罪すること無く、部屋に上がってしまいました。)
(父と二人で顔を見合わせたが、何か、もやもやが残った感じだった。)
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母が洗濯物を干したり、取り入れたりすること等も同様苦を伴う。
お天気との闘いとなる。
晴れたり、曇ったり、雨が降ったりした時、一喜一憂する。
どうしようもないことといえば、理解に苦しむ事として、観光地に最近落書きが多くなった事だ。
千畳敷熊野古道にもみられるようになった。
それだけ真面目に考える人が少なくなったと、言うことだろう。
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大晦日、白良浜で先着1000人年越しそば振る舞いが今年もあった。
でも、強風の為中止が出された。
うちのお客様も期待していたので残そうだった。
父「町のお知らせ入ってすみませんね。」、客「風には勝てないな!」
僕「考えてみたら、今日の為に仕入れた材料はどうなるのかな?」
「町職員のものになるのかな?」「老人ホームの人のところに行くのかな?」
疑問だらけである。
あくまでも客の為なら、室内、近くの体育館に変更していればお客様の接待もスムーズにいったのに、と感じたのは私だけでしょうか?
コミニケーションには会話も大事だが、意思疎通が行われ、気持が通じ合ったり、お互いに理解し合うことが起きてこそ、コミニケーションが出来るとということが言えそうだ。
他者とのコミニケーションによる改善や、そこにあるコミニケーションの成立の要素も見られる。
会話がなくとも、行動を知ることでコミニケーションを取る方法等、心豊かに展開することを願って日常生活のいろいろな場面での「会話 」 を想定し、会話を支える心の状態に視点を当てる。
自分でできることに精一杯取り組む事が大事だが、人との大切にしたい行動の原点を身を以て呈する事だ。
コミニケーションを成している状態とは、相手と気持が通じ合ったり、互いに理解し合う事が起きるという状態である。
会話の言葉と共に、その背景を掴む事が大切である。
人とコミニケーション取れるように、日々心掛けることである。
尚、孤独にならないようにするには、早くから人とのつながりを、コミニケーションを取ることが大切であろうと思われる。
課題としては、現代は価値観の多様で複雑多岐になっている。
先日も父の手伝いで、フロント助手していた時のことである。
沖縄から連泊する客が到着したので、いつものように説明している時、道案内も含めてやや親身になって説明しているとき、再三側にいる配偶者が袖を引っ張る仕草が目立った。
考えすぎかもしれないけれど、「本土の人に疑心暗鬼になっているのかなぁ、」とふと感じた。